東日本大震災の後に加筆修正・文庫化された本書は,著者の原子力発電所への潜入取材により描かれている。それでいて,淡々と描写されているところが好感を持つ。もとは「原発ジプシー」というタイトルで,確かに読み終わった後は「ジプシー」がしっくりくる印象を持った。
今回の震災でもクローズアップされた「作業員」。東電などの電力会社の社員ではなく,「協力会社」と表現される会社(実際には下請け・孫請け)に所属し,ほぼ日雇いと思われる雇用でしか確保されない人員の確保は,つい最近の新聞報道にもあるように,偽名での登録や,あとから連絡を取ろうにもとることのできない状況を生むのだろう。
浴びることになった放射線量が,おそらく影響するのであろうが,仮に年齢を重ねた作業員であっても,本書を読む限りにおいては劣悪な労働環境でどれだけの余命を縮めるのだろうかと考えてしまう。
本書では美浜,福島第一,敦賀の3原発が詳しく取り上げられている。それも,理屈ではなく,体感として読ませてしまうあたりが,非常に興味深い。
そのひとつ福島第一で,いまも沈静化に取り組むすべての作業員の方々には,頭が下がる思いを持つ。
※実際に「原発ジプシー」を読む機会をもっていない段階でのレビューです。
原発労働記 (講談社文庫) 関連情報
昨日まで、福島県いわき市の仮設住宅や支援組織を取材してみて、この本のリアリティをあらためて実感した。
沿岸部を除けば、福島県は宮城県や岩手県の津波被災エリアのような目に見える傷跡は、目立たない。
ごくおだやかな田園風景や日常風景が目の前に広がっている。
しかし、ホットスポットが存在し、町の風景に仮設住宅が点在しているのも事実である。
私が取材した人の中には、著者と同じ川内村からいわき市に疎開してきた主婦もおられた。
一様に出る言葉は、子どものことが心配、先の展望が見えない、ということである。
原発事故に関する情報(ニュース、噂、ネット情報等)、現地で見聞きする放射線の影響を、エリア内部の当事者・生活者
の視点から描いている本書は、現時点では類例がないだけに、多くの方に読んでもらいたい。
裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす 関連情報
本書は1990年に発行されました。
福島第一原発4号機は、呉で造られていることを本書で知り、ビックリ。
つくったのはバブコック日立・呉第二工場。
ホームページにも次のような説明がありました。
第二工場は第一工場から車で約10分の距離にあり、主に原子力関連製品等の製作をおこなっています。第二工場の原子炉圧力容器の組立ておよび耐圧試験をおこなう設備は、戦時中に戦艦大和の砲塔を製作した設備を利用しており歴史的にも興味深い工場です。
著者の田中三彦さんは、1968年から77年まで、バブコック日立で原発の設計をしていた技術者です。
4号機圧力容器は、製造過程でゆがみが生じ、田中さんは、そのゆがみを矯正するための計算をてがけたのだといいます。
この計算に基づく、矯正作業は「仏滅」を避けておこなわれた、という非科学性も驚き。
今回の事故で「想定外」という言葉が繰り返されています。その問題点を本書はすでに批判していました。
要するに、事故をどのように想定するかは、あくまで主観的な「選択の問題」である。別な言い方をすれば、想定事故には、意識的であれ、無意識的であれ、ある種の価値や時代精神が明確に投影されていると考えねばならない。すべての壁が崩壊するような最悪事故が想定されない理由は、おそらくたった一つ、「そのような事故想定は原発の建設を不可能にする」ということだろう。
言葉を換えれば、安全評価で採用されている重大・仮想事故とは、原子力発電を建設するという目的を不可能にしない範囲で「こんな事故を想定してみました」、ということでしかないと思われる。(75ページ。太字部分は傍点が付されている)
おそらく、あのチェルノブイリの事故から日本が学ぶべきもっとも重要なことは、事故後ただちに日本の原発推進論者によって強調された「構造の違い」でも「炉の制御性の差」でも、「規律違反」でもなく、もっとも単純なつぎの二つにしぼられるように思う。
一つは、どこから見ても壊れそうにないあの巨大な原発が、一瞬にして瓦礫の山という事実である。(中略)
もう一つは、本来人が近寄ることのできない現場の危機的状況(クライシス)がいったいどうして比較的短期間に沈静化されか、である。(中略)一つはヒロイズム。そしてもう一つは−−じつに哀しいことだが−−現場作業員の放射能や被曝に対する無知である。だが、幸か不幸か、いまの日本では、そのどちらも機能しない。
「廃棄物処理(あるいは核燃料サイクル)」「廃炉技術」そして「クライシス・マネージメント」(大規模事故時の対応)。この3つに対する明確な展望をもたぬまま、日本の原発はスタートした」(同166-7ページ)
「チェルノブイリ原発事故以後、原発推進者によって日ごとに強化されつつある「安全神話」は、あまりにも楽観的、非現実的であり、私にはとうてい受け入れることができない」(同170ページ)
大事故が起こせば、大気ばかりでなく、おそらく海流をとおしても、放射性物質を世界中にばらまくことになる
(同169ページ)
今日の事態を言い当てています。早く読んでおけばよかった。
原発はなぜ危険か―元設計技師の証言 (岩波新書) 関連情報
一番衝撃的だったのは、即発臨界という現象についての記述だった。
インターネットで、海外の技術者で福島第一原発の3号機の爆発は臨界によるものだと
言っている人がいるらしいというのは知っていた。
ただそのときは、海外では大げさなことを言う人がいるのだろうくらいに考えて、特に注意しませんでした。
今回書籍の形で上記の即発臨界という現象の解説を読んで驚いたのには主に2つ理由があります。
1つは、アメリカではどうやら研究所で即発臨界の実験を研究所で実施していて、
原子力発電の安全管理の教育現場(研究者レベル)で解説しているらしいということ。
もう一つは、燃料プールは正常な水位と燃料集合体相互の位置関係が充分な余裕が無い場合、
わずか0.1秒で即発臨界に成り得るということ。
原子炉の安全性ばかりに目が行きがちですが、燃料プールにも潜在的な危険性があると改めて認識出来ました。
ただ、もちろん水素爆発であるか即発臨界であるかは今のところはよくわかりません。
圧力容器に水素が充満しているため、水素爆発の危険性は今もこれからも恒常的に存在するという記述も
非常に気がかりです。
マーク1型の格納容器が容積が不十分であること、
サプレッションプールで圧力抑制効果が発揮出来ない可能性があることなどは、
元日立系技術者の田中三彦の記述や、
NHKのETVに出演していたデール・ブライデンボウの証言と重なっています。
新鮮だったのは、福島第一のメルトダウンの主原因を
日本政府や東京電力が主に電源喪失と非常用復水器の捜査ミスで説明するのに反して、
著者は冷却ポンプの水没で説明している点です。
元々岩波新書の「原発を終わらせる」で田中三彦氏が
非常用復水器は電源無しで起動出来るが動作時間は限られていると記述していたので、
耐水性の無い冷却ポンプが水没すれば海水による冷却が不能になり、
電源があっても無くてもメルトダウンに向かっていくという説明は説得力がありました。
著者は原子力発電の元技術者としては非常に高い地位でキャリアを終えたようで、
最後は原子力関連の企業で副社長をしていたということです。
そのため、原子力発電のプラント設置のコストにも精通しているらしく、
「原子力発電は安価に設置可能」だが、
「安全で安価な原子力発電は不可能」と明言しているのが印象的です。
福島第一原発 ―真相と展望 (集英社新書) 関連情報